お客様の声

INTERVIEW

自宅を木造家屋から建替えて30年 今でも変わらぬ住み心地です

福岡市中央区 H様

自宅を木造家屋から建替えて30年 今でも変わらぬ住み心地です

山田工務店との出会い

 奥様から、このビルが完成した時のエピソードをお聞きしました。木造建物の工事が中心だった当時、すでに高齢だった創業者が現社長に車いすで連れられてきた時のエピソードです。
完成した鉄筋7階建ての建物を見て、口数少ない創業者が涙ながらに喜んでいた、とお話ししてくださいました。H様は創業当時を知る貴重なお客様ですね。
弊社創業者とH様のお父様が会われたきっかけをお教えいただけますか。このビルを建てる前、ここは一戸建てだったんですよね。

息子様 まだ地下鉄とかも通ってないような時代で、父が映画館に勤めていました。そこの工事とか修理で山田工務店さんが入られていていたことがきっかけです。
それから自宅もお願いしますっていうようなことでおいでになったのを覚えております。

「ビルなのに最上階のオーナー宅は戸建てみたい」と話題に

 お父様とうちの創業者との関係から始まったのですね。このビル建てられた時のことをお聞かせ願えますか。
その後、弊社でビルの建設をさせていただいた室見のSさんだったりIさんとかも、こちらの物件を見学させて頂いたと以前聞いたことがあります。

奥様 鉄筋コンクリート造は、山田工務店さんにとってもここが初めての建物だったようです。今では周辺にもたくさんビルが建っていますけど、当時は少なかったものですから、かなり目立ってたみたいですよ。
建設が始まると見物の方がたくさんいらっしゃいました。入居募集の垂れ幕をいくつも下げてですね。それはもうとても賑やかなことでした。テレビも取材にここに来られて、「鉄筋コンクリートのビルなのに最上階のオーナー宅は、戸建てみたいです」と紹介されました。「ビルの最上階なんですけれども、エレベーターを降りたらそこは庭でした。」、みたいなそんな感じですよね。

息子様 父が屋上庭園があるので、夏でもエアコンがいらないんですよと、話していました。風が通り抜けてまだこんな温暖化も進んでいませんでしたので、あながち嘘じゃないかもしれませんね(笑)。
父が亡くなったのが2004年ですから、これが出来たのは1987年ですので、約 20年弱ぐらいはここで暮らしていますね。おかげさまで、竣工の時に、ここで竣工祝いをしたのですけど、社員の方も来られてですね、年配の社員の方がとっても嬉しそうだったのはよく覚えています。
お酒を嬉しそうに飲まれてですね。当時は周りにビルも少なく、お風呂の窓から海が見えていたものですから、皆さんに交代でお風呂に入っていただいたのを覚えています。

山田工務店に依頼した理由

 よほどセンセーショナルな感じで、なかなか珍しい建物だったみたいですね。1987年2月に完成していますね。これはもうわかる範囲で構わないのですけれど、弊社に依頼する決め手になったことはあったんでしょうか。

息子様 父も色々なところに相談はしたみたいですけれど、 映画館で山田工務店さんの仕事っぷりがとても良かったと聞いています。それこそ当時は、御社もまだ実績があまりない中でお願いしているわけですから、それ以前の信頼関係というのがかなり強かったのかなっていうことだと思いますね。建替える前は、まあ古い家でなかなか使い勝手が悪いだろう、ということで建替えを決めました。

建設後も家族ぐるみのお付き合い

 建てられた後に旅行になんかもご一緒させて頂いたというのもお聞きしました。

奥様 はい。3回ぐらい台湾などにご一緒させてもらいました。そしてそこで「祝いめでた」を大きな声で歌ってもらってね。あれはとても楽しかったです。

 私が会社に戻ってきたのが10年前ぐらいなのですが、その時に弊社社長が私どもを連れて、色々なお客様にご挨拶をさせて頂いたことがありました。 その時に初めてこちらにお邪魔した記憶があります。
あの頃は、奥様の日本舞踊を家族で見学に行かせて頂いたり家族ぐるみでのお付き合いもさせて頂きました。私はまだ入社してすぐにの時に、網戸の交換をさせて頂いた際、ちゃんぽんが美味しいお店で出前をとって頂いて、ご馳走になったりもしました。

西方沖地震の時も全然ひびが入らなかった

奥様 社長様が一度お一人で見えられたこともありました。手相なども見ていただいたり、風水の話を主人としていたのを覚えています。このビルの計画の際も、風水でやっぱり玄関は東の方が良いとか、うちの主人も社長さんとよく話していましたね。

息子様 昨日探していたら、このビルの計画の古いファイルが出て来てですね。これを見ると初期の間取りと違うんですよね。何パターンか検討して最終的に今の間取りに決めて頂いたんじゃないかと思います。当時から、ずっと先々の収支計算までしていただいていたみたいですね。

奥様 あの当時はコンクリートを打設されたらもう半日くらいずっと型枠を叩かれるんですよ。それは一生懸命やられていましたね。西方沖地震の時も、全然ひびが入らなかったので、かなり頑丈でしっかりと建ててあるんだなあと思いました。

内装は今でも竣工当時のまま

 お部屋にはご主人が好きだったいろんな戦闘機の模型やステレオなども置かれていますが、内装は竣工当時のままとお聞きしました。

奥様 まだその頃私たちも若かったので、訪れるお客さんに、シックな色で統一されてますね、と褒められたものでした。このクロスも今じゃ中々珍しい布クロスで、普通なら裂け目が出て目立ってくるじゃないですか。これ全然それがないんですよね。竣工当初からそのままです。すごく良いものを使って頂いたのだろうと思います。施工にとても力を入れて頂いたんですね。居間にも光が良い感じで入るので、冬も暖かいです。
当時は、鉄筋コンクリートのビルも少なかったですし、最上階に戸建てのような自宅が入っているのが特別だったようですね。

床の間に旧家の床柱を利用するなどのこだわり

 弊社の社長もここの建設には随分と力を注いだようでした。

奥様 最上階の自宅に使う柱を普通の戸建住宅の大きさの柱を使ったり、床の間は戦前に建てた旧家の床柱を利用したりと、そのまま使って頂いたんですよ。欄間も含め、そこからいろんな部材をとってこの自宅に使っていただいてるんですよね。
当時、私はお茶の先生をしていましたので、茶室を作って頂き、茶器を洗う場所を茶室横に作ってもらって、ちゃんと水が出るようにしていただいて随分と楽しみました。初釜を開いたりと何人もの弟子もこの茶室で楽しい時間を過ごさせてもらいました。
お茶をしますからとお伝えしたら、そしたらここを待合にしたらいいですよ、とアドバイスをいただいて作っていただき、本当にありがたいと思っております。

最後に

 弊社社長も相当このビルには思い入れがあって、全勢力を注ぎ込んだということが、今お聞きしても感じられます。
今日は本当に貴重なお話をありがとうございました。私どもも益々お客様のために建物を建てることの責任と喜びを改めて感じさせて頂ける貴重な機会でございました。
これからも頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

奥様 この建物も綺麗とはいえ、もう35年を過ぎ、いずれは建て替えなどを考える時期が来ると思います。その時はまた御社にお願いしたいと考えておりますので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。